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東京高等裁判所 昭和38年(く)54号 決定 1963年11月06日

少年 K(昭二一・一二・一〇生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告理由の要旨は、抗告人(以下少年という。)の不服とするのは、本件審判のときに、少年の誠意も言い分も全くきかず、少年を引き取つてくれると約束していた○部さんに審判の日を通知しないで決定をしたことであるから、もう一度審判をやり直して下さいというにある。

そこで、本件抗告事件の一件記録を調べると、少年審判の席に在席しうる者は、保護者および附添人、保護観察官、保護司、法務技官および法務教官ならびに、少年の親族、教員その他裁判所が相当と認める者であるところ(少年審判規則第二九条、第三〇条)少年の唯一の法定代理人である実母は、原審の本件審判当時、その所在が不明であり、また、横浜家庭裁判所が少年の就職斡旋をした少年の最後の雇主である○部工務店の店主○部○一は、少年が同人方を無断で飛び出し、その際同人方で窃盗の非行をなしているから、右○部を、少年の現在における保護者または裁判所が相当と認める者であるとはいえない。されば原審が、○部○一に本件審判期日を通知せず、その呼び出しをしなかつたからといつて、違法であるとはいえないばかりでなくまた、原審は、少年に対する審判期日において、少年の陳述をきいていることも昭和三八年四月一九日付の審判調書により明らかであるから、本件抗告は理由がない。

よつて、少年審判規則第五〇条、少年法第三三条第一項により主文のとおり決定する。

(裁判長判事 小林健治 判事 遠藤吉彦 判事 吉川由己夫)

参考二

意見書

昭和三八年五月一三日

横浜家庭裁判所

裁判官

東京高等裁判所御中

本人K(昭和一二年一二月一〇日生)に対する当裁判所の昭和三八年四月一九日附戻し収容決定に対し本人から同年五月二日附抗告申立があつたので、下記のとおり意見を述べる。

一、昭和二六年七月六日附家庭局長回答によれば、戻し収容決定は保護処分ではないから抗告はできないものと解するとされているが、戻し収容決定はその前提として以前になされた少年院送致決定の執行の過程において、少年院送致が一応終了して少年院から仮退院中、その処分に基づく少年保護の実効を期するためになされるもので、形式上保護処分自体ではないが、実質上これと同視すべきものであり、ことにその以前になされた少年院送致決定の執行を単に復元するというのでなく、さらに場合によつては当初の年齢上の制限を超えてこれを延長することを内容とするものであつて、新たな少年院送致の保護処分たる性質を具有するものであり、本人の人権保障に直接影響する事項を内容とする終局処分であるから少年審判規則第五五条により少年法第三二条の規定を準用して抗告の対象とすべきものである。よつて本件抗告は適法であると解する。(大阪高等裁判所昭和三三・七・七第三刑事部決定、同年八・一第五刑事部決定参照)

二、次に本人の唯一の法律上監護教育の義務ある母は所在不明であるので審判期日に呼び出すことは事実上不可能であり、最後の雇主○部○一は、最後に本人が同人方を無断で飛出し、その際同人方で窃盗の非行を犯しているのであるから、本人の現在における保護者ということはできないから、仮令同人を本件審判期日に呼び出さなかつたとしても違法ではない。

三、本件戻し収容申請を認容する理由は本件決定書第二記載のとおりで、その認定のとおり、とくに本人は横浜保護観察所の努力により更生の場として二回も適当な職場を与えられたのに拘らず、その前後にわたり反覆して遵守事項を遵守せず、非行を繰返したもので、保護観察の実効が挙らず、母も最後の雇主○部○一も現段階においては本人の受入れを拒んでいる状況であり、本人を戻し収容してその健全な育成を図るほかないものである。

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